一太郎はこうして生まれた

発売から25周年を迎えた、日本語ワードプロセッサ「一太郎」
誕生までのストーリーをご紹介いたします(全2回)。

※1995年発行に発行された書籍「株式会社ジャストシステム 『一太郎』を生んだ戦略と文化」
 (高橋範夫著:株式会社光栄発行)の内容を抜粋し、一部加筆・修正したものです。
第2回:「太郎」への思い

jX-WORD太郎を発売


電波新聞1985年1月9日掲載

 自分たちで開発したワープロがアスキーの製品として売られたことは、浮川も納得がいかなかった。
 この頃は、オフコンの仕事はすべて断っており、アスキーの仕事が、売上のほとんどを占めていた。アスキーから一人立ちして、ゼロから再出発するべきか。浮川はなかなか決心がつかず、ずいぶん悩んだ。しかし、次の発展のためには、一度ゼロになるのも仕方がない。浮川はそう決心し、アスキーとの提携を解消した。すると、社員たちは不安がるどころか、目を輝かせて喜んだ。一番躊躇していたのは、どうやら浮川だったようだ。
 JS-WORDは、アメリカの雑誌では高く評価されたが、国内での評判があまりよくなかった。日本人にアイコンなど意味がないといわれた。この際、JS‐WORDは捨てて、自分たちのブランドで売り出すワープロは、もっと普通っぽいものにしよう、ということになった。
 たまたまその時期に、IBMが新型パソコン「JX」を出すことになっていたので、その対応版から開発を始めた。84年12月に発売されたジャストシステムブランド初のワープロソフト「jX-WORD」はIBM対応版であった。
 もちろん、PC-9801版も発売する予定だったが、移植作業には3ヵ月ほどかかった。その間、浮川は秋葉原の電気街へ通い、店先でデモンストレーションを行った。そのとき、「98対応版はいつ出るんですか」というユーザー側の質問を何度も受けた。「これは売れるぞ」
 浮川は確かな手ごたえを感じていた。発売にあたって、製品名が問題になった。「この名前では売れへん」という意見が出て、名前に「太郎」を付け足した。
 85年2月、PC-9801対応のワープロソフト「jX‐WORD太郎」が発売された。

一太郎はこうして生まれた

 
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